コミュニティって、ちょっと宗教っぽくない?と思った話

ノコの日記

みなさん、何かしらの「コミュニティ」に属していますよね?
会社、家族、ママ友グループ、講座や教室でできた仲間、スポーツジム、オンラインサロン……。

私もいくつかのコミュニティに参加してきました。SNSで知って興味を持ち、熟考の末に「ここだ!」と決めて入った場所もあります。どれも、内容に魅力を感じたからこその選択です。

でも、毎回どこかでふと違和感を覚える瞬間があるんです。

主催者=神様じゃないよね?

それは、「主催者を過剰に崇拝している人たち」を見たとき。

「あなたが持っている〇〇、どこで買ったんですか?」「一度でいいからお会いしたい!」「お会いできたとき、感動で泣きそうでした!」なんていう言葉を見聞きすると、思わず一歩引いてしまう自分がいます。(私は妙に冷めているところがあるので、余計にそう思ってしまうのかも)

いやいや、主催者も私たちと同じ、ただの人間やで?って。

もちろん、誰かを尊敬する気持ちはわかります。私だって、この人すごいなあと思うことはあります。でもそれが度を超えて「崇拝」「妄信」になると、一気に温度差を感じてしまうんですよね。

強制される“応援”って、しんどくない?

以前、とあるコミュニティで「○○さんをみんなで応援しよう!SNSでどんどん拡散しよう!」という呼びかけがありました。

いや、応援するのは自由やけど、なんでそれを“義務”みたいに言われなきゃいけないの?

やりたい人がやればいい。私は私のペースで関わりたい。それなのに「応援しない=ノリ悪い人」みたいな空気を出されると、正直しんどくなります。

そして不思議なことに、コミュニティが大きくなるほど、こういう「熱狂的なファン」の存在が目立ってくるんですよね。

宗教を否定している訳ではないです。こうゆう強制的なところと妄信、崇拝がいわゆるイメージの悪い宗教っぽいんです。

メンターが欲しい気持ちはわかるけど…

多くの人が「メンター」を求めているのかもしれません。誰かを信じ、頼りたくなる気持ち。孤独じゃないって思いたい気持ち。

でもそのメンターは、あなたを「個人的に」助けてくれるわけじゃない。たいていはビジネスとして関わっているだけ。冷たく聞こえるかもしれないけど、それが現実です。

それに気づかずに「私の方だけを見てほしい!」「私は特別な存在」「この人ならわかってくれる」と思い込みすぎてしまう。そうなると、ちょっとした発信のズレに「裏切られた」と感じてしまったり、私の事を無視していると勘違いして攻撃的になってしまうことも。

それって、すごくもったいないことだと思うんです。

夫婦でも友達でもコミュニティでも過剰に思い入れすぎ、勝手に自分の理想に作り上げてしまうと、最終的にはその縁も悲惨な結果になってしまう事があります。

私の理想のコミュニティとは

私にとっての理想のコミュニティは、
**「自分が生き生きといられて、誰かと競うことなく、自分のペースで楽しめる場所」**です。

そして「周りを尊重できる場である事」

誰かに合わせすぎることなく、自分らしさを大切にできること。
そして、そこにいることで自然と元気になれたり、前向きな気持ちになれたりする。
そんな安心感と自由が共存する場所こそが、私の望むコミュニティの形です。

あなたの理想のコミュニティはどんな感じですか?

コミュニティに入る前に考えてみてほしいこと

コミュニティって、素晴らしいものです。学びやつながり、刺激や成長のチャンスがたくさんある。
私は今もオンラインのコミュニティに参加しています。
そこで得られるものもたくさんあります。

でもだからこそ、入り口で一度立ち止まってほしい。

「私はなぜここに入ろうと思ったのか?」
「自分はこの場で何を得たいのか?」
そして、自分のボーダーラインを決めてほしい。
「ここまでしか私はやらない」という

その答えがはっきりしていれば、周りに流されず、自分のペースで参加できるはずです。

誰かのファンになるのもいい。でも、自分自身の感覚も大切にしたい。
コミュニティに“依存”するのではなく、“活用”する感覚でいたいですね。

今回の教訓

「人が集まる所には、何かとトラブルあり。一歩引いた位がちょうどいい」

最後まで読んで下さってありがとうございました。


コメント

タイトルとURLをコピーしました